1. 忠臣蔵ウィーク2019
  2. >
  3. 忠臣蔵BLOG
  4. >
  5. 2019
  6. 「赤穂さんぽ」 41回目は「花岳寺・義士墓所」です

「赤穂さんぽ」 41回目は「花岳寺・義士墓所」です

41回目は「花岳寺・義士墓所」です。

 

 

浅野家の菩提寺に、浅野内匠頭と四十七義士の墓所があります。

 

義士墓所は、37回忌の1739年に建てられたもので、浅野内匠頭と
大石内蔵助・主税を真ん中に、周りを義士たちが囲んでいます。
ここには義士の遺髪が埋められているそうです。

 

大石内蔵助は、赤穂御崎の新浜港から京都の山科へ旅立ったあと、
一度も赤穂には帰って来ませんでした。

 

この後の内蔵助は、浅野家再興運動を続けながら、早く討入りをと
迫って来る、堀部安兵衛ら江戸急進派を鎮め、幕府の目をごまかす
ためというお茶屋遊びや、討入り後の家族への影響を考えての離縁、
そしてお家再興の望みが消えた翌年7月、ついに討入りを決意します。

 

吉良邸討入りは、刃傷事件から、1年10ヶ月後の12月14日(15日早朝)。
午前4時、表門隊と裏門隊に分かれて討入った義士たちは、それから
2時間ほどの戦いの末、ようやく炭小屋に隠れていた吉良上野介を
発見、本懐を遂げて、内匠頭の墓のある泉岳寺へ引き上げました。

 

「もっとおさんぽ」

 

・忠義塚
   …義士墓所の前にあって、義士の50回忌前の1750年に
    義士を追慕する人たちが建てたものだそうです。

 

    碑文は大石主税の幼な友達が撰び、赤穂の藩医・
    能書家の藤田東閣が書いたそうです。

 

・忠義桜・不忠柳
   …義士墓所の門の両側、左と右に植えられています。

 

    桜は大石内蔵助の屋敷から、柳は開城前に孫を置いて
    夜逃げしたという、大野九郎兵衛の屋敷から移植した
    木で、それぞれ三代目、二代目になっています。

PAGETOP