「赤穂さんぽ」 19回目は「赤穂八幡宮」です
19回目は「赤穂八幡宮」です。

赤穂の城下町から東の、千種川を渡った尾崎地区にあります。
(息継ぎ井戸から、1kmちょっとくらいの距離です)
小さな町の神社にしては、かなり大きく立派な社殿になっていて。
それは赤穂八幡宮が、赤穂の南部一帯の総氏神で、浅野家など
歴代藩主に守られ、信仰されていたからのようです。
義士関連の物も、大石内蔵助ゆかりの布袋額や、奉納した石灯籠、
大石良雄御手植之櫨(はぜの木)、義士の書状などが、たくさん
残されています。
写真は10月に行われた「秋祭り」が始まる直前で、この祭りに
使われる「神輿、獅子頭、太鼓など」を、あの浅野内匠頭長矩が
元禄元年(1688)に寄贈したそう。刃傷事件の13年前ですね。
「もっとおさんぽ」
・おせど(伝 大石良雄仮寓地跡)
…大石内蔵助と家族が、開城のあと、京都の山科へ行く
まで住んでいた場所。
赤穂八幡宮の、ほぼ東隣にあります。
・塩釜神社
…八幡宮の右手から坂を上った神社。もとは東浜塩田に
祀られていました。
・普門寺
…もとは城下町の花岳寺近くにあった寺。
平安時代初期に作られた本尊の木造千手観音坐像は、
国の重要文化財になっています。
・赤穂御崎・新浜港
…内蔵助と家族が京都の山科へ向かった港で、旅館街の
きらきら坂を下りた所にありました。
歩くと結構遠いですが、昔は八幡宮から300mほど東の
所から塩田で、その間を1本の道だけが、今の赤穂御崎
まで通っていたそうです。内蔵助も多分、通ったはず。