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忠臣蔵BLOG「早駕籠の通ったお成り道 」

 

「忠臣蔵BLOG」4回目は「早駕籠の通ったお成り道 」です。

 

「お成り道」は、浅野家の菩提所である「花岳寺」へ、藩主が
参拝する時に通った道です。

 

刃傷事件を報せる早駕籠も、この道を通ったとされていて。
城下町は、浅野時代とほとんど町割が変わっていないので、
今でも早駕籠のルートを、ほぼそのままたどる事ができます。

 

「忠臣蔵・人物紹介」

 

今回は、第二の早駕籠に乗っていた2人です。
原惣右衛門と大石瀬左衛門で。

 

第一の早駕籠と同じ日の夜に到着、これで浅野内匠頭長矩の切腹と、
浅野家の断絶が報らされました。

 

「原惣右衛門元辰」行年56歳

 

惣右衛門は、浅野内匠頭の刃傷で、御馳走役が交替になり、その
伝奏屋敷の片付けと、召し上げになった浅野家の邸の引渡しを
幕府の役人も驚くほど見事に済ませています。

 

赤穂に行ってからも、大石内蔵助を信じて、みんなを開城に導い
たり、開城後には内蔵助と残務処理も行っています。

 

内蔵助の参謀でもあり、吉田忠左衛門、小野寺十内らと共に、
仇討ちの計画遂行に貢献しました。

 

「大石瀬左衛門信清」行年27歳

 

この人は内蔵助の親族で、大石主税と一族3人で討入っています。
(他にも義盟に加わった親族はいたけれど、脱盟したそう)

 

刃傷事件の時は、浅野内匠頭のお供で江戸城にいて、事件を知ると
すぐ上屋敷に戻って、その事を伝え、切腹の報せを持って、原惣衛門
と赤穂に向かい、そのまま義盟に加わりました。

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