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忠臣蔵BLOG「義士伝行列の内蔵助と理玖」

 

「忠臣蔵BLOG」第41回は「義士伝行列の内蔵助と理玖」です。

 

写真は今日の「赤穂義士祭」の「忠臣蔵パレード」の一つ、
「忠臣蔵」の登場人物に扮した人たちの「義士伝行列」に
出ていた、大石内蔵助と、奥さんの理玖(りく)さんです。

 

この写真では、内蔵助の方が大きいですが、実は内蔵助は
小柄な人だったらしく、反対に理玖は大柄で背が高かった
そうです。息子の主税も、それを受け継いで大柄でした。

 

パレードコースの内「ふれあいゾーン」では演技がなく、
こんな風に、パレード出演者と記念写真が撮れます。

 

そういえば今日、ラストの「義士行列」で内蔵助役だった
高橋英樹さん、すごい人気でしたよ。

 

さて、11月から始まりました、このブログも、これで最後と
なります。今日まで読んで頂いてありがとうございました。

 

「忠臣蔵・人物紹介」

 

最後は、大石内蔵助良雄です。行年45歳

 

「良雄」は「よしたか」と読みます。

 

これは良雄が15歳の時、父の良昭が家督を相続しない
まま死去、それで孫の良雄が、祖父の良欽(よしたか)の
養子に、その祖父も19歳の時に亡くなったので、家督を
継いで、読みを祖父と同じ「よしたか」にしました。

 

理玖と結婚したのは、内蔵助が27歳の時。
この時、理玖は18歳で、当時としては晩婚だったそう。

 

「昼行燈」と呼ばれていた内蔵助ですが、刃傷事件が
起きてからの動きは凄いですね。

 

早駕籠の報せから、藩札の六分替え、城中大評定で籠城か
復讐か無血開城かの連日の会議、その結果、無事に城を
明け渡し、尾崎の仮住まいに移っての残務処理。

 

そして、山科へ移ってからは、本格的に浅野家再興運動を
始めますが、江戸の急進派が度々手紙や山科へやって来て
は早期討入りを迫ってくるし、勝手に仇打ちしそうになっ
ては、内蔵助自ら江戸へ鎮めに行く羽目になったり。

 

そして円山会議で討入りが決定、同志たちが江戸へ集結して
からは、商人などに身を変えて吉良邸を探り、吉良が屋敷に
いる日を調べて討入りました。
そして2時間の戦闘の末、見事本懐を遂げました。

 

討入りまで1年10か月、その間に、よくこれだけの事をして、
同志たちをまとめて行ったなあって思いますね。

 

ところで、山科といえば、敵の目を欺くためという遊郭での
遊蕩が有名ですが、実はもともと、そういう遊びが好きだった
という説もあったり。

 

「忠臣蔵」のエピソードは、史実も、講談などの創作も
それぞれに面白さがありますね。

 

今年で討入りから「満316年」だそうで、これだけ長く生き残っ
ているのは、やっぱりそれだけ魅力的な物語なんでしょうね。

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