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忠臣蔵BLOG「花岳寺 義士墓所」

 

「忠臣蔵BLOG」39回目は「花岳寺 義士墓所」です。

 

浅野家の菩提寺で、お城通り商店街から、花岳寺通商店街を西に
通り抜けた所が、山門になっています。

 

義士墓所は、本堂向かって左手から入った所で、墓所の前には、
義士を追慕する人たちが建てた「忠義塚」があります。

 

この墓所は、義士の37回忌に建てられたもので、遺髪が埋められ
ているとされています。この時は、まだ寺坂吉衛門は生きていた
ので、そのお墓は後に建てられたそうです。

 

中央が浅野内匠頭で、その右と左に、大石内蔵助と大石主税。
その周りを45人の義士たちが囲んでいて、この中に立つと、自分も
義士たちに囲まれているような気持ちになりますね。

 

お墓の石は小振りで可愛らしくもあり、、かがんで手を合わ
せると、ちょうどいい高さになっています。

 

「忠臣蔵・人物紹介」

 

今回は、吉良方の清水一学と山吉新八です。

 

「清水一学義久」享年25歳

 

討入りで戦った吉良方では、一番名前が知られた人ですね。

 

よくイメージする、雪の中、二刀流で橋の上で義士たちに立ち向か
っている姿とは、全く違っていたようです。

 

農民の出身で、剣術が好きでお兄さんが用人をしていた陣屋に
通って習っていた時に、吉良上野介の目に止まりました。

 

美少年で、上野介の死んだ次男によく似ていたので、可愛がられ、
それで忠義心も、とても強かったそうです。

 

討入りの時も、上野介の寝室のそばにいて、逃げる時も付き従い、
あの炭小屋でも、上野介を守って他の家臣たちと戦いました。

 

記録によると「少し戦って討たれてしまった」そうで。
その一学を倒した義士が、千馬三郎兵衛だったいう話も。

 

「山吉新八盛侍」

 

その「清水一学」エピソードの元になったのが、この人だそうです。

 

新八は、義士たちと激しく戦っていて、主君の吉良左兵衛義周
(上野介の隠居後に家督を継ぎ、2番目にねらわれていた人)
の所に駆けつける途中、戦って一人を池へ落としました。
その池へ落ちた義士が、近松勘六でした。

 

新八は、その後も戦い続け、ついに倒れてしまいますが、義士たちは、

倒れた者には構わない、と決めていたので生き残りました。

 

そして、左兵衛の配流先にも従い、亡くなるまで一緒でした。

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