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忠臣蔵BLOG「殿中刃傷の場メンバー」

 

「忠臣蔵BLOG」35回目は「殿中刃傷の場メンバー」です。

 

写真は、昨年の「赤穂義士祭」から「忠臣蔵パレード」のひとつ
「忠臣蔵名場面の山車」の「殿中刃傷の場」メンバーです。

 

あの、山車の上で人形みたいに、じ~っと動かない人達ですね。
浅野内匠頭と吉良上野介、内匠頭を抱きとめた梶川殿と、もう
一人は、茶坊主・・・だったかな?

 

ふれあいゾーンでの写真ですが、パレードの前、駅前ロータリー
でも、他の山車のメンバーと、お客さんを出迎えてくれてますね。

 

「忠臣蔵・人物紹介」

 

今回は、吉田忠左衛門兼亮です。行年64歳

 

刃傷事件の時は、今の兵庫県、加東郡にいましたが、早駕籠が
通ったのを聞き「何か非常事態が!」と赤穂に駆けつけました。
そして大石内蔵助の相談相手、参謀長として大活躍しました。

 

城明け渡しでは、修理奉行を引き受けて、城壁の修理や城内の
掃除を行い、行き届いた手入れに幕府の収城使が感心したそう。

 

その年の暮れ、吉良上野介が隠居すると、江戸の急進派が「早く
吉良を討たなければ!」と騒ぎ始めました。

 

そこで、人望のあった忠左衛門が、内蔵助に選ばれて山科会議の
結果を持って江戸に向かい、急進派を説得する事ができました。

 

浅野大学が広島の浅野本家へお預けになると、討入りが決定し、
内蔵助と忠左衛門宅を司令部に、討入り準備が進められました。

 

討入りでは、裏門隊の大将、大石主税の補佐をしていますが、
実際の指揮は、忠左衛門がとっていたそうです。

 

そして、本懐を遂げて泉岳寺へ引き揚げる途中、内蔵助から
使者に選ばれた、忠左衛門と富森助右衛門が、幕府の大目付、
仙石伯耆守に「討入り口上書」を差し出して自首しています。

 

このお陰で、義士たちはお預け先でも罪人として扱われず、
幕府の処分を待つことになります。

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