1. 忠臣蔵ウィーク2018
  2. >
  3. 忠臣蔵BLOG
  4. >
  5. 2018
  6. 忠臣蔵BLOG「JR播州赤穂駅」

忠臣蔵BLOG「JR播州赤穂駅」

 

「忠臣蔵BLOG」33回目は「JR播州赤穂駅」です。

 

「忠臣蔵のふるさと」赤穂の駅は、中央の大きな三角屋根が特徴の、
武家屋敷をモチーフにした駅舎になっています。
駅のロータリーを通って正面から入ると、かなりの迫力です。

 

駅舎内は「忠臣蔵」の巨大な額や、浅野内匠頭と大石内蔵助の
辞世の句、赤穂義士が描かれた陶板が使われていたりと忠臣蔵
だらけの駅になっています。

 

あと3日で忠臣蔵ウイークですが、昨年、本丸で開催していた
「義士の灯り 2018」が、ここ駅前広場で開催されます。
(花岳寺通商店街と、お城通りでも開催)

 

今年は、どんな風になるんでしょうね。
町では着々と義士祭の「おもてなし」準備が進んでいます。

 

「忠臣蔵・人物紹介」

 

今回は、大石内蔵助の奥さん、大石理玖(りく)です。

 

理玖は、今の豊岡市で、石束源五兵衛毎公の長女として生まれ、
18歳の時に、27歳の大石内蔵助と結婚しました。

 

かなり大柄な人だったようで、逆に内蔵助は小柄だったという
から、二人が並んだら、だいぶ身長差があったのかもですね。
(主税も母親似で大柄でした)

 

大石家はとても健実な家庭で、1日に1度はニラ雑炊を食べたとか、
お客さんを酒1本と、ゆず味噌だけでもてなしたという話も。
(ニラ雑炊は、義士祭の前夜祭で振る舞われてますね)

 

三男二女がいたそうですが、三人目の息子は、内蔵助が理玖を
離縁して、豊岡に戻ってから生まれています。

 

理玖は赤穂に嫁いでから、大坂の天神祭りを見るのが夢だった
そうで、開城後、それを叶えるため、内蔵助はひと足先に
家族を大坂に、その後、家族と合流して山科へ向かいました。

 

そして、有名な内蔵助の遊蕩が始まるのですが、討入りをすると
家族にも罪が及ぶので、その前に理玖を離縁し実家に帰しました。

 

実家で大三郎を生んだ理玖は、長女と次男も失いますが、大三郎
は広島の浅野本家に父親と同じ石高で召抱えられ、理玖も一緒に
広島に移りました。

 

そして次女るりの縁組も決まり、子どもたちを育て上げた理玖は
仏門に入り、内蔵助や子どもたちの冥福を祈って亡くなりました。

享年68歳。

PAGETOP