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忠臣蔵BLOG「東御崎展望台の大石内蔵助良雄之像」

 

「忠臣蔵BLOG」32回目は「東御崎展望台の大石内蔵助良雄之像」です。

 

春の桜と梅がキレイな、東御崎展望台の内蔵助像です。

 

この像は、これが赤穂の見納め、赤穂御崎にあった新浜港から
家族の待つ大坂へ、そして京都の山科へと旅立つ姿です。

 

展望台から見下ろす海を、内蔵助の乗った船は進んでいったはずで。
海から御崎の風景を身ながら、どんな事を考えていたんでしょうね。

 

瀬戸内の島々が見える、気持ちのいい展望台です。

 

「忠臣蔵・人物紹介」

 

今回は、大高源五忠雄です。行年32歳

 

刃傷事件の時は、浅野内匠頭のお供で江戸にいましたが、すぐに
赤穂に帰って義盟に加わりました。

 

開城後は母親を残して京都へ移りましたが、江戸急進派が勝手に
仇討ちをしようとするので、大石内蔵助の命令で、鎮めに行ってい

ます。でも源五たちの手に負えず、内蔵助自ら江戸へ行く羽目に。

 

そして京都の円山会議で討入りが決定し、内蔵助は同士の意志を
確かめる「神文返し」の役目を源五と貝賀弥左衛門に命じました。
その結果残ったのは、約半分の60人足らずでした。

 

この後、同志たちは次々に江戸に入り、討入りに向け動き始めます。

 

一番苦労をしたのは、吉良が必ず屋敷にいる日を知ることでした。
そこで源五は手を回して、吉良邸に出入りしていた茶の湯の宗匠、
四方庵宗偏に弟子入りし、12月5日の「茶会」聞き出しました。

 

しかしこの日は延期、14日に改めて「年忘れの茶会」が開かれると
聞き、横川勘平も同じ情報をつかんで来たので「間違いない!」と
12月14日の討入りが決定しました。

 

源五で有名なのは、討入り前日の「煤竹売り」ですね。

 

両国橋の上で、煤竹売りに身を変え吉良邸を探っていましたが、
貧しい身なりになった源五を見かけた、俳友の宝井其角は

 

 「年の瀬や水の流れと人の身は」

 

と詠みかけました、そこで源五は

 

 「あしたまたるるその宝船」

 

と返し、其角は、その意味を後になって知ったのでした。

 

創作ですが、有名な俳人だった源五ならではのエピソードですね。

 

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