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忠臣蔵BLOG「大石良雄宅跡長屋門」

 

「忠臣蔵BLOG」31回目は「大石良雄宅跡長屋門」です。

 

大石内蔵助良雄は、筆頭家老なので、大手門の近くに屋敷が
ありました。これは門の押さえの役割もしていたそうです。
(内蔵助、映画などではよく「ご城代」と呼ばれてますね)

 

刃傷事件を報せる早駕籠が叩いた門で、解体修理はされていますが、
向かいの源八長屋と長屋門が、唯一残った江戸時代の建物です。

 

屋敷は焼失していまいましたが、この長屋門と庭園が残っていて、
国の史跡に指定されています。(有料で公開しています)

 

「忠臣蔵・人物紹介」

 

今回は、落合与左衛門勝信です。

 

忠臣蔵の史実を追っていると、討入りが近づいた、この時だけ、
必ず名前が登場する人です。

 

「内蔵助は、討入りの迫った11月29日付で「預置候金銀請払帳」と
書類・手紙を、瑤泉院付きの用人、落合与左衛門に送った」

 

与左衛門は、今の広島県、三次浅野家の家臣、阿久里(瑤泉院)が
生まれた時からの用人で、浅野内匠頭に嫁いだ時も、一緒に赤穂に
来ています。内蔵助からも信用されていて、瑤泉院が亡くなるまで
傍に従い守り続けました。

 

「預置候金銀請払帳」
(あずかりおきそうろうきんぎんうけはらいちょう)

 

この帳面は、大石内蔵助が、開城後に赤穂を離れた時から、討入り
直前までつけていた、経費の明細帳です。

 

浅野家再興運動から、行き来した義士たちの旅費、江戸で
お金に困りながら討入りまでの日々を暮らしている義士たち
の様子などが、分かる資料になっています。

 

内蔵助が開城後の残務処理を終え、赤穂を出る時に預かった金額は、
公金「690両2朱 銀46匁9分5厘」今のお金で「約8400万円」。

 

これは瑤泉院が、三次の浅野家から嫁いだ時に「化粧料」として
持ってきたお金を、塩浜に貸し付けていたものと、藩の財産を
処分して、藩士に分配したあとの「余り金」だそうです。

 

どんな事が書かれているかというと。

 

 一、金四両二歩
 堀部安兵衛江戸より為内談罷上ル往来路銀・京都滞留雑用、手形有

 

 一、金壱両
 京丸山にて打寄会談の入用拾九人分、三村次郎左衛門仕払、手形有

 

 一、金弐歩
 不破数右衛門霜月(11月)中飯料ニ渡、手形有

 

預かっているお金なので、ちょっとした出費も書かれています。

 

一番多いのは「旅費・江戸逗留費」で、次は「生活補助費」だそう。
最後は不足分7両1歩を、自分のポケットマネーから支払っています。

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