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忠臣蔵BLOG「城下町の萬福寺」

 

「忠臣蔵BLOG」27回目は「城下町の萬福寺」です。

 

花岳寺から赤穂城跡への、お成り道沿いに東向きに建っています。
ここが町屋街と侍屋敷街の境目になっていて、正面には町屋街が、
寺の裏手から侍屋敷街が広がっています。

 

町並みの雰囲気も、結構違う感じがしますね。
隣の大蓮寺とで、城下町の西の押さえになっています。

 

元禄15年(1702)6月に、大石内蔵助から30両の寄進を受けていて、
寺には堀部安兵衛や大高源五など義士の書が多く残されています。

 

「忠臣蔵・人物紹介」

 

今回は、倉橋伝助と茅野和助です。

 

「倉橋伝助武幸」行年34歳

 

伝助はユーモアがあり、浅野内匠頭と2歳しか違わなかった
ので、近くに置いて可愛がられていました。

 

よく参勤交代のお供もしていて、宿の部屋割りが得意だった
そうですよ。

 

刃傷事件が起こった時も、参勤交代のお供で江戸にいましたが、
すぐ赤穂に帰って義盟に加わりました。

 

開城後は、もう一度江戸に行き、堀部安兵衛らの江戸急進派の
一人として一緒に行動しています。

 

その後、前原伊助の米屋の手代になって、吉良邸を探りました。
商売の才能があったようで、店はかなり繁盛したようです。

 

討入りは堀部安兵衛らの裏門隊で、大太刀と脇差で戦いました。
それは二振りとも、内匠頭から拝領したものでした。

 

「茅野和助常成」行年37歳

 

刃傷事件の時、和助はまだ浅野家の家臣になって4年でしたが、
最初から義盟に加わり、大石内蔵助に従っています。

 

開城後も赤穂に残って、同士との連絡に当たっていました。

 

討入りの3ヶ月前、大石主税が内蔵助の代わりに一足先に
江戸へ向かう時、お供の一人として江戸に入り、礒貝十郎左
衛門と同居して、吉良邸を探りました。

 

泉岳寺に引き揚げた時、寺の僧から「何か記念に」と頼まれ、
義士俳人の一人だった和助は、和歌と俳句を書いています。

 

 「世や命 咲野にかかる 世や命」

 

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