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忠臣蔵BLOG「城下町の随鴎寺」

 

「忠臣蔵BLOG」25回目は「城下町の随鴎寺」です。

 

城下町には、たくさんの寺がありますが、それは城を守るため、
いざという時には出丸(基地)として使うためでした。

 

この随鴎寺(ずいおうじ)も、江戸時代は熊見川(今の加里屋川)に
作られた「舟入」に面していて、大石内蔵助が開城の残務処理を
した遠林寺(えんりんじ)とで水軍の屯所の役目も持っていました。

 

境内には、義士の肉親のお墓があります。

 

「忠臣蔵・人物紹介」

 

今回は、前原伊助と矢田五郎右衛門です。

 

「前原伊助宗房」行年40歳

 

前原家は父親と伊助で、赤穂浅野家の三代藩主に仕えました。

 

江戸詰めで赤穂へは行かず、単独で吉良を探っていましたが、
大石内蔵助の東下りの時に、義盟に参加しました。

 

その後、吉良上野介が本所に屋敷替えになったので、吉良邸の
裏門すぐ近くに、米や雑穀を売る店を開き、神崎与五郎らと
同居して、屋敷を探っています。
(商売の才能があったようで、人気の店だったとか)

 

この店は、討入りの集合場所のひとつで、最終的には、ここ
に全員が集合して、吉良邸に出発しました。
討入りでは、邸内に詳しいので案内役として活躍しています。

 

神崎与五郎と書いた「赤城盟伝」は、刃傷事件から討入りに
向かう様子が書かれ、貴重な資料になっています。

 

「矢田五郎右衛門助武」行年29歳

 

刃傷事件の時は、江戸詰めで藩邸にいましたが、すぐ義盟に参加。
赤埴源蔵と同居し、最後は吉良邸に近い本所に住んでいました。
江戸の地理に詳しかったので、吉良邸や上野介を探っています。

 

討入りでは表門隊で、屋内に突入して奮戦しました。

 

戦闘中、不意に敵に斬りつけられましたが、鎖帷子のおかげで
助かり、その相手を倒そうと刀を振り下ろしたところ、金火鉢に
当たって刀が折れてしまいました。

 

それで、敵の刀を拾って戦い続けたんですが、自分の大切な刀を
置いて来てしまった事を、切腹の時まで気にしていたそうです。

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