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忠臣蔵BLOG「台雲山 花岳寺」

 

「忠臣蔵BLOG」20回目は「台雲山 花岳寺」です。

 

赤穂浅野家の初代、長直が、母親の台雲院、父親の華嶽院の
菩提寺として建てた寺で、2人の法名から名づけられました。

 

浅野家や大石家、義士の墓所などがあり、中に入ってみると、
神聖な空気で、歴史の重さが伝わってくるようです。

 

境内には他にも、大石名残の松や、鳴らずの鐘、義士木像堂、
宝物館など「忠臣蔵」を感じられる見所がたくさんあります。

 

「忠臣蔵・人物紹介」

 

今回は、小野寺十内秀和です。行年61歳

 

四十七士には親族で討入った人が多いですが、十内の一家は
一番多く、なんと7人で討入っています。

 

十内は京都留守居役で、刃傷事件は京都にいた時に知って

赤穂に駆けつけ、義盟に加わりました。大石内蔵助のすごさを

認め、その補佐をしています。

 

討入りは裏門隊で、吉田忠左衛門、間喜兵衛と司令部要員として
裏門の警戒に当たり、得意の槍で、三人の敵を倒しました。

 

十内は、奥さんの丹(たん)と、それは仲が良く、京都にいた時に
一緒に先生に付いて和歌を習い、たくさんの歌を残しています。

 

円山会議で討入りが決定して、江戸へ向かう時、奥さんを思う
歌を詠みながら行ったらしいですよ。

 

十内は、丹さんに何通も手紙を書いていて、それを読むと事件が
起こってから討入りまでの事が、よく分かるそうです。

 

その丹さんは、義士たちが切腹したあと、四十九日の法要を営み、
寺で自ら食べ物を絶って、十内の後を追いました。

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