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忠臣蔵BLOG「赤穂城跡・清水門跡」

 

「忠臣蔵BLOG」19回目は「赤穂城跡・清水門跡」です。

 

大石内蔵助が、赤穂城を明け渡し、最後にくぐった門です。

 

今の大石邸長屋門から、正面の道をまっすぐ行った所にあった
門ですが、当時もこの場所には、米蔵が建っていたそうです。
(これは歴史博物館で、米蔵のデザインになっています)

 

城を明け渡すと浪人になって、大手門からは出られないので、
ここ清水門から、名残を惜しみながら城を後にしました。

 

「忠臣蔵・人物紹介」

 

今回は、貝賀弥左衛門友信です。行年54歳

 

義士、吉田忠左衛門の弟で、幼い頃、母方の養子になりました。
刃傷事件の後は、すぐに兄の忠左衛門と義盟に加わっています。

 

開城後は家族と京都へ移り、あの「天野屋利兵衛」のモデルと
いわれる、綿屋善右衛門の世話になっていたそうです。

 

弥左衛門は、内蔵助から重要な任務を任されています。

 

浅野内匠頭の弟、大学の本家お預けの処分が決まり、浅野家の
再興が無くなったので、ついに内蔵助は、討入りを決意します。

 

そこで同士の意思を確かめるため行ったのが、有名な「神文返し」
この役目に選ばれたのが、弥左衛門と大高源五でした。

 

元禄15年8月終りから、各地の同士を回った結果、130名が約50名
まで減ってしまいました(ほぼ四十七士に近い人数ですね)。

 

そして大役を果たした弥左衛門は、同士と江戸へ向かい。
その他の同士も、討入りに向け続々と江戸に集まり始めました。

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