1. 忠臣蔵ウィーク2018
  2. >
  3. 忠臣蔵BLOG
  4. >
  5. 2018
  6. 忠臣蔵BLOG「赤穂御崎 大石名残の松」

忠臣蔵BLOG「赤穂御崎 大石名残の松」

 

「忠臣蔵BLOG」18回目は「赤穂御崎 大石名残の松」です。

 

赤穂にある、もうひとつの「大石名残の松」です。

 

こちらは赤穂御崎の旅館街、伊和都比売神社から、きらきら坂を
降りた所にあります(毎月、御崎マルシェで賑わう場所ですね)。

 

大石内蔵助は、この下にあった新浜港から、6月の中頃に奥さんと
家族を大坂へ、自分は25日に赤穂を出発して家族と合流、京都の
山科へ向かっています。
(奥さんが見たがってた、大坂の天神祭りに行かせるためだそう)

 

その時、何度も、この松を見返りながら、名残を惜しんだそうです。
(今は三代目で、2012年に植樹されました)

 

「忠臣蔵・人物紹介」

 

今回は、菅谷半之丞と三村次郎左衛門です。

 

「菅谷半之丞政利」行年44歳

 

子供の頃、山鹿素行が朱子学を批判した罪で赤穂に流されて来て、
素行から直接、兵学を学んだそうです。
免許皆伝で、大石内蔵助に山鹿流兵学を教えたという話もあります。

 

開城後は、今の広島県三次(内匠頭の奥さんの生まれ故郷)に住み、
近所の川で毎日、釣りをしていたそうで、名所になっているとか。

 

討入りの2ヶ月前、内蔵助の東下りのお供の一人として江戸に向かい、
参謀の役目を果たしました。

 

「三村次郎左衛門包常」行年37歳

 

義士の中では一番低い身分の台所役人でした。
(寺坂吉右衛門を除いて)

 

刃傷事件の時も、伝奏屋敷に台所役人として詰めていて、屋敷を
引き払ったあと、4月に赤穂に入っています。

 

でも、身分が低いので、大評定の席に入れてもらえず、邪魔者扱い、
露骨な嫌がらせをされ、差別がひどかったそうです。

 

それを内蔵助に「開城して浪人になったのだから、身分は関係ない。
主君を思う気持ちは自分も同じだ!」と訴え、その忠義の思いを
知った内蔵助は、次郎左衛門を義盟に加えました。

 

討入りは裏門隊で、大槌で吉良邸の裏門、次の門も打ち破り奮戦、
引き揚げた泉岳寺で、内蔵助から働きを褒められたそうです。

PAGETOP