1. 忠臣蔵ウィーク2018
  2. >
  3. 忠臣蔵BLOG
  4. >
  5. 2018
  6. 忠臣蔵BLOG「花岳寺 大石名残の松」

忠臣蔵BLOG「花岳寺 大石名残の松」

 

「忠臣蔵BLOG」17回目は「花岳寺 大石名残の松」です。

 

浅野家の菩提寺で、義士墓所のある、花岳寺の松です。

 

大石内蔵助が母親の冥福を祈り、元禄4年(1691)に植えたもので、
刃傷事件後、城を明け渡して赤穂を旅立つ時、母と先祖の墓に参り、
この松の下で名残を惜しみました(今の松は二代目です)。

 

そして、今の赤穂御崎にあった新浜港から、山科へ向かいました。

 

「忠臣蔵・人物紹介」

 

今回は、親子で討入った、村松喜兵衛、村松三太夫です。

 

「村松喜兵衛秀直」行年62歳

 

刃傷事件後、すぐに赤穂へ向かっていますが、ずっと江戸にいた
ので、赤穂に来るのは、この時が初めてだったそうです。

 

息子の三太夫には「自分は主君、浅野内匠頭の遺志を継ぐため、
赤穂の人たちと行動を共にするが、お前はまだ部屋住みだから、
残って母親の面倒を見るように」と言い残しました。

 

このあと、大石内蔵助に会い、親子で義盟に加わることになるん
ですが、江戸から一番に駆けつけたのは喜兵衛親子で、内蔵助は
とても喜び、2人は最後まで内蔵助に従いました。

 

江戸に戻ってからは、土地勘があるので、吉良邸探索に活躍。
切腹の時は、役人も感服するほど、落ち着いていたそうです。

 

「村松三太夫高直」行年27歳

 

三太夫は、父の喜兵衛に「お前はまだ部屋住みだから、母親の
面倒を見るように」と言われましたが「やっぱり自分も父親と
共に赤穂へ!」と、母親は弟に頼んで後を追いかけました。

 

神奈川宿で父親に追いつき、何度も帰るように言われますが、
必死で頼み、ついに一緒に来ることを許されました。

 

江戸に戻ってからは、喜兵衛と住んでいましたが、後に仲間と
同居し、地理に詳しいので、吉良邸を探索。
討入りでは、素晴らしい活躍をしたそうです。

PAGETOP