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忠臣蔵BLOG「城下町の義士宅跡」

 

「忠臣蔵BLOG」11回目は「城下町の義士宅跡」です。

 

赤穂の義士宅跡は、城内に5箇所と城下町に16箇所ありました。

 

城下町西側の侍屋敷街は、今は住宅地になっていますが、
町割は当時のままで、宅跡には、義士の名前入りの石柱と
説明版が設置されています。

 

「忠臣蔵・人物紹介」

 

今回は、千馬三郎兵衛と、木村岡右衛門です。

 

「千馬三郎兵衛光忠」行年51歳

 

真っ直ぐな性格で、浅野内匠頭にでも、ハッキリ意見をいう人でした。
もともと相性が悪かったのか、内匠頭と意見が合わず、ある事件で
百石の禄高を三十石に減らされたため、自ら暇をもらって赤穂を出て
行こうとしていました。

 

そんな時、刃傷事件の知らせが。三郎兵衛は「今の自分があるのは
内匠頭のおかげ、こんな時に自分だけ勝手な行動を取るわけには
いかない」と、赤穂に残って義盟に加わりました。

 

事件後は、大坂に出て同士と連絡を取り合い、江戸に出てからは
間喜兵衛の親子と同居して、情報を集めていました。

 

裏門隊として討入り。
あの清水一学を倒した、という話があります。

 

「木村岡右衛門貞行」行年46歳

 

岡右衛門は学問が好きで、慎重な性格でした。

 

開城の時は、国絵図奉行として残務処理に当たりました。
すぐ義盟には加わらず、加東郡内に仮住まいして、時々、京都の
浪士と連絡を取り合っていました。

 

義盟に加わったのは、約1年後の翌年2月頃、9月に江戸に出て、
堀部安兵衛の隠れ家に同居しています。

 

江戸に出る時、岡右衛門は、知り合いの盤珪和尚に頼んで法名を
付けてもらい、それを左の肩に下げて討入ったそうです。

 

泉岳寺に引き上げた時、白明和尚から頼まれ、歌を残しました。

 

「思いきや わが武士(もののふ)の道ならで
           かかる御法(みのり)の縁に逢うとは」

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