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忠臣蔵BLOG「赤穂大石神社・四十七義士石像」

 

「忠臣蔵BLOG」7回目は「赤穂大石神社・四十七義士石像」です。

 

赤穂城跡内の、赤穂大石神社にある石像です

 

義芳門前に、大石内蔵助と、息子の大石主税。
そして参道の両側に、2人が大将として率いる、表門隊と裏門隊が
ズラリと勢揃いしています。

 

台座に寄贈者の名前が書いてありますが、よく見ると義士と同じ
名字の人が何人も、なんと子孫の方だそうですよ。

 

「忠臣蔵・人物紹介」

 

今回は、江戸急進派の、堀部安兵衛と奥田孫太夫です。

 

「堀部安兵衛武庸」行年36歳

 

「高田馬場の決闘」で有名な人。ですね。

 

元は中山安兵衛ですが、この決闘で江戸中で有名になり、
その評判を聞いた、堀部弥兵衛から「ぜひ娘の婿に!」と
何度も頼まれ、最後には「中山姓のままでいいから!」と。

 

その思いに討たれ、堀部家の養子になったそうです。

 

刃傷事件後、同じ道場の、奥田孫太夫、高田郡兵衛と意気投合、
「吉良を討って、主君の怨みを晴らそう!」と誓って、赤穂へ。

 

その後、江戸急進派として活躍しますが、なかなか動かない
大石内蔵助にしびれを切らせ、何度も手紙を送ったり、
同志だけで仇討ちを決行しようとしては、内蔵助自ら鎮めに
行っています、それだけ思いが強かったんですね。

 

最後は、最年少の16歳の大石主税が無事に切腹したのを聞いて
安心し、自らも切腹に向かいました。

 

「奥田孫太夫重盛」行年57歳。

 

孫太夫は、浅野内匠頭の前にも一度、主君の刃傷事件と切腹、
お家断絶に遭っています。

 

安兵衛と同じ道場で、もう一人の高田郡兵衛と江戸の同志だけ
で吉良邸に討入ろうとしますが、江戸家老の安井彦右衛門に
「今は時期が悪い」と止められました。

 

何度も暴走しそうになりますが、安兵衛と同じく、仇討ち
一筋に走り続けて、かなり熱い人だったようですね。

 

剣の達人で、討入りでは長太刀を奮って、若者に負けない活躍を
したそうです。

 

もう一人の「高田郡兵衛」は、途中で脱盟してしまいました。

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