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  6. 忠臣蔵BLOG「赤穂城内の屋敷跡 」

忠臣蔵BLOG「赤穂城内の屋敷跡 」

 

「忠臣蔵BLOG」6回目は「赤穂城内の屋敷跡 」です。

 

赤穂城内には、三之丸に藩士の屋敷がたくさんありました。
四十七士の中では、家老の大石内蔵助が大手門を入った所に、
他に、四十七士中4人が住んでいました。

 

今残っているのは、大石邸長屋門だけですが、屋敷のあった
辺りには、名前の書かれた標柱や説明板が設置されています。

 

写真は、裏門の塩屋門を入ってすぐ、大野九郎兵衛の屋敷跡です。
忠臣蔵では、悪いイメージがついてしまってますが、財政通の
有能な人だったそうですよ。

 

分配金をめぐる事件で息子と夜逃げしますが、あまりに慌てていて、
孫娘を置いて行ってしまったいう、話もあったりします。

 

「忠臣蔵・人物紹介」

 

今回は、片岡源五衛門高房です。
赤穂城内の、大石内蔵助のすぐ近所に住んでいました。

 

源五衛門は、浅野内匠頭長矩から可愛がられ、刃傷事件の時も
江戸城の大手門前で主人を待っていました。

 

そこに内匠頭の刃傷の報せ、田村邸にお預けになったと知ると
すぐに駆けつけ「一目だけでも、お目通りを」と懇願しますが、
勿論叶うはずがありません。

 

その願いを聞き届けてくれたのが、切腹検視役で幕府目付だった
多門伝八郎です、源五右衛門は奥の座敷からですが、切腹の座に
向かう内匠頭の姿を見ることができたのでした。

 

行年37歳。

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