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忠臣蔵BLOG「二之丸庭園 屋形舟遊覧」

 

「忠臣蔵BLOG」38回目は「二之丸庭園 屋形舟遊覧」です。

 

忠臣蔵ウイークの初日(12月8日)に、赤穂城跡の二之丸庭園で
運航された屋形舟遊覧です。

 

二之丸庭園は、発掘調査を元に江戸時代の景観を再現していて、
赤穂に配流になっていた山鹿素行が日記に、庭園の「錦帯池」で
船遊びの歓待を受けたと書いているそうです。

 

整備が進んで、今見てもキレイな庭園なので、当時この池で船に
乗った素行も気持ちよかったんでしょうね。

 

次は「赤穂義士祭」当日、12月14日の10時~15時に運航されます。

 

「忠臣蔵・人物紹介」

 

今回は、武林唯七隆重です。行年32歳

 

間十次郎の一番槍に続き、吉良に一番太刀をつけた人です。

 

唯七は、あの中国の思想家、孟子の子孫で、祖父は出身地、
中国の杭州武林から名前を「武林治庵」としていました。

 

孟子の子孫であることを誇りに思っていた唯七は、祖父の
「武林」を名乗ったそうです。

 

もとは江戸詰めでしたが、刃傷事件の時は赤穂にいて義盟に
加わり、その後、堀部安兵衛らの急進派になりました。

 

大石内蔵助が、約束していた時になっても一向動く気配が
ないので「御家老が動かないのは、お前たちが腰抜けで、
仇を討つ気が無いからだ!」と大高源五に暴言を吐いて
喧嘩になり、不破数右衛門に鎮められたのは、義士同士の
喧嘩として有名だそう。

 

そして吉良邸に討入り、どこへ隠れたのか見つからない
吉良上野介に、みんな焦って、諦めかけていました。

 

その時、間十次郎が物音のする炭小屋を見つけ、戸を破ると
物を投げ斬りかかって来た敵を倒しました。

 

奥から老人が脇差を抜いて向かって来たので、十次郎が槍で
突き、続く唯七が太刀を打ち下ろして、老人は絶命しました。

 

「これは上野介ではないか?」と確かめさせたところ、正しく
そう!更に内蔵助がとどめをさし、見事本懐を遂げました。

 

泉岳寺に引き揚げて、浅野内匠頭の墓前に吉良の首を供え。
一番槍の十次郎の次、2番目に焼香したのが唯七でした。

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