2017年11月

第54回「桃井ミュージアム 瑤泉院ゆかりの灯篭とつくばい」

akostaff 2017年11月30日

 

赤穂市の忠臣蔵スポットを紹介する「あこう忠臣蔵めぐり」
第54回は「桃井ミュージアム 瑤泉院ゆかりの灯篭とつくばい」です。

 

桃井ミュージアムさんから情報をいただいて、初めて知りました。
灯篭とつくばいは、建物の左手に設置されています。

 

浅野内匠頭の奥さん阿久里(後の瑤泉院)が、内匠頭の切腹後に
住んだ、江戸・赤坂にあった実家、三次浅野家の下屋敷から、
戦後に旧金沢江戸村へ。

 

そして昨年、ここ御崎の桃井ミュージアムへ移設されました。

 

灯篭は高さ約2mで、江戸様式の善導寺型灯篭というそうです。
実際に見てみると、どっしりしていながら、丸っこく風化しているので、
やさしい印象の灯篭でしたね。

 

その向きは、一度も赤穂に来ることのなかった瑤泉院を思い、
赤穂城下を見下ろす向きに、設置しているということです。

 

つくばいは、屋敷の庭に置いた手水鉢。
これを利用し、水琴窟を考案したといわれる、小堀遠州家に伝わる
図面をもとに「洞水門(水琴窟)」を忠実に再現しているそうです。

 

ひしゃくで、つくばいの水をすくい、灯篭の足元の水琴窟にそそぐと、
綺麗な水の音が聞こえてきました。

第53回「花岳寺 鳴らずの鐘」

akostaff 2017年11月29日

 

赤穂市の忠臣蔵スポットを紹介する「あこう忠臣蔵めぐり」
第53回は「花岳寺 鳴らずの鐘」です。

 

浅野家の菩提寺で、義士の墓所もある、お寺の鐘です。

 

この梵鐘は、赤穂浅野家の二代藩主「長友」が、父親の「長直」の
ために鋳造したものだそうです。

 

その後、刃傷事件が起り、浅野家の断絶、吉良邸への討入り・・・。
そして、四十六士が切腹したという報せが、赤穂に届きました。
(寺坂吉右衛門は切腹していないので、46人なのです)

 

赤穂の町民は、四十六士の死を悼み悲しんで花岳寺に集まり、
鐘を撞き続けたところ、音を失って、50年の間鳴らなかった、と
いうことです。

 

今は再改鋳され鳴っていますが、この鐘は「義士との由緒が深い」
ことから戦争での供出を免れた、赤穂市で唯一の梵鐘だそうです。

 

ちなみに「鳴らずの鐘」は、赤穂七不思議のひとつになっています。

第52回「折方の浄専寺」

akostaff 2017年11月28日

 

赤穂市の忠臣蔵スポットを紹介する「あこう忠臣蔵めぐり」
第52回は「折方の浄専寺」です。

 

赤穂義士のひとり、中村勘助ゆかりの寺です。

 

赤穂城下町から西へ行った、折方地区にある寺で、赤穂城開城後、
勘助は、その隣の木生谷(きゅうのたに)に仮住まいしていました。

 

その時、浄専寺の住職と親交があったそうで、討入りのため江戸へ
下る時、自作自筆の位牌を納めて、死後の法会を頼んだと伝えられ、
今もその位牌が祀られているそうです。

 

中村勘助は書道に秀でていて、大石内蔵助の代筆もしていました。
開城の残務処理も、役人の一人として手伝っています。

 

勘助には家族がありましたが、一緒に江戸へは連れて行けず、
かといって赤穂には預けられる人もおらず、故郷の奥州白河へ
家族を連れて行き、それから江戸へと向かったそうです。

第51回「尾崎の如来寺」

akostaff 2017年11月27日

 

赤穂市の忠臣蔵スポットを紹介する「あこう忠臣蔵めぐり」
第51回は「尾崎の如来寺」です。

 

尾崎地区の、赤穂八幡宮から坂を上がったところに建つ寺で、
明治時代の神仏分離までは、八幡宮の「神宮寺」でした。
(江戸時代までは、お寺と神社が一緒になっていたんですね)

 

この寺には、大石内蔵助が描いた藤棚の屏風6曲の左半双や、
義士の手紙などが残されています。
(屏風の右半双は、八幡宮にあるそうです)

 

他にも、内蔵助の奥さん「りく」さんが、討入りの2週間後に
神宮寺に送った手紙が残っていて、吉良を討ち本望を遂げた
と聞いての喜びや、義士全員の無事を喜んでいること。

 

年明けには、江戸でお預けになっている義士たちの扱いについて
連絡がないが、神宮寺がお祈りをしてくれていることへの感謝や、
あとの事は天道様次第、と考えていることなどが書かれている
そうです。

 

討入り後の家族のことは、あまり出てこないので興味深いですね。

第50回「赤穂観光周遊バス 陣たくん号」

akostaff 2017年11月26日

 

赤穂市の忠臣蔵スポットを紹介する「あこう忠臣蔵めぐり」
第50回は「赤穂観光周遊バス 陣たくん号」です。

 

赤穂観光マスコットキャラクター「陣たくん」の名前がつけられた
バスで、市内の観光名所を周っています。

 

土・日と祝日の運行で、1乗車100円(小学生以上)。
JR播州赤穂駅と坂越駅の間を、往復しています。

 

停留所は、花岳寺、赤穂城前、海浜公園、御崎旅館街駐車場、
東御崎展望台、坂越港、坂越・海の駅など、19ヶ所を細かく
周っているので便利です。

 

お城通りや、千種川、赤穂御崎から坂越の海沿いなどを走る
ので、窓からの景色が楽しめるのもポイントですね。

 

年末年始は、運休の日があるので「赤穂観光協会」のホーム
ページで確認して下さいね。

第49回「陣たくん」

akostaff 2017年11月25日

 

赤穂市の忠臣蔵スポットを紹介する「あこう忠臣蔵めぐり」
第49回は「陣たくん」です。

 

赤穂観光マスコットキャラクターの「陣たくん」。
2011年9月1日生まれの、元気いっぱいの男の子です。
(赤穂観光協会さんの公募で選ばれました)

 

オレンジ色の頭は、大石内蔵助が討入りの時に持って
いたという、山鹿流の陣太鼓がモチーフ。
頭の後ろには、ちょんまげ風の房も付いてます。

 

好きなものは、赤穂名物の塩味まんじゅうで。
趣味は、太鼓の稽古と子供たちと遊ぶこと、だそうですよ。

 

写真でも可愛いですが、子供たちと「陣たくんダンス」を
踊ってる姿が、これまた可愛らしいです。

 

(写真は、今年の花岳寺通商店街「土曜夜店」です)

第48回「赤穂大石神社」

akostaff 2017年11月24日

 

赤穂市の忠臣蔵スポットを紹介する「あこう忠臣蔵めぐり」
第48回は「赤穂大石神社」です。

 

大石内蔵助と藤井又左衛門の屋敷跡に建つ神社です。

 

祭神は、四十七義士と、討入り前に命を断った萱野三平、赤穂
浅野家の三代藩主と、浅野家のあとの藩主森家の先祖である、
森蘭丸など7代の武将が祀られています。

 

境内には、討入りに使った道具などを展示する義士宝物殿と別館、
浅野内匠頭と義士の木像が見られる義士木像奉安殿、大石邸
庭園の、4箇所が有料で公開されています。

 

他にも、大石内蔵助像や、本殿の周りの「忠臣蔵ものがたり」絵馬
など、忠臣蔵にちなんだ物が色々あって楽しめます。

 

神社創建のきっかけは。

 

明治天皇が明治元年、東京行幸の際、泉岳寺の義士墓前に
勅使を遣わして大石内蔵助らを弔い、義士を褒め称える勅宣と
金幣を賜わりました。

 

このことで神社創建の運動が起り、大正元年に「大石神社」が
建てられました。

 

ちなみに、正式名称は「赤穂大石神社」で。
戦後、浅野家三代藩主と、城下の「赤穂神社」に祀られていた
森家の先祖が合祀され「赤穂大石神社」になったそうです。

第47回「赤穂大石神社 四十七義士石像」

akostaff 2017年11月23日

 

赤穂市の忠臣蔵スポットを紹介する「あこう忠臣蔵めぐり」
第47回は「赤穂大石神社 四十七義士石像」です。

 

赤穂大石神社の参道に並ぶ、赤穂義士47人の石像です。

 

義芳門の前に、表門隊の大将「大石内蔵助」と、裏門隊の大将
「大石主税」そして参道の両側に、表門隊23人と、裏門隊24人が
向かい合って並んでいます。

 

興味深いのは、義士の子孫の方が寄贈者の像が、多いことですね。
ポーズや持ち物が、ひとりひとり違っているのも面白いです。

 

「兵馬俑に似てる?」と写真を撮ってる時にも聞こえてきましたが、
説明版によると「中国産黒大理石製」で「兵馬俑工芸技術伝承者
作製」ということです。

 

それも面白いですね。

第46回「赤穂市立歴史博物館」

akostaff 2017年11月22日

 

赤穂市の忠臣蔵スポットを紹介する「あこう忠臣蔵めぐり」
第46回は「赤穂市立歴史博物館」です。

 

大石内蔵助が、刃傷事件の赤穂城明け渡しのあと、名残を
惜しみながら最後にくぐった、清水門を出た所にあります。

 

ここには江戸時代、米蔵が並んでいたので、清水門側から
見ると、米蔵を再現したデザインになっています。

 

愛称は「塩と義士の館」で。
「赤穂の塩」「赤穂の城と城下町」「赤穂義士」「旧赤穂上水道」
4つのテーマで展示がされています。

 

館内に入って、まず目を引くのが、塩廻船の復元模型ですね。
3分の1の大きさですが、それでもかなりの迫力です。

 

2階には、江戸時代の赤穂城の模型があって、海に面していた
赤穂城の姿や、大石内蔵助の屋敷、源八長屋、本丸御殿などが
模型で復元されています。

 

「赤穂義士」の展示では、実際の赤穂事件の資料や、浮世絵、
芝居、映像で「仮名手本忠臣蔵」を見られるコーナーなども
あって、「忠臣蔵」の全体が分かるようになっています。

第45回「大連寺」

akostaff 2017年11月21日

 

赤穂市の忠臣蔵スポットを紹介する「あこう忠臣蔵めぐり」
第45回は「大連寺」です。

 

昨日紹介した萬福寺の北隣の寺で、この寺も萬福寺とともに、
城下町の西のおさえとして移されました。

 

境内には、大石内蔵助の寄進という稲荷神社と石灯籠があって、
名前が「笠間稲荷」となっています。

 

「笠間」は、赤穂浅野家の初代藩主「長直」が、赤穂に国替えに
なる前に藩主をしていた「笠間藩」のことでしょうか。

 

赤穂浅野家の二代藩主「長友」の奥さん、戒珠院の菩提寺で、
戒珠院のお墓があり、開城の際には大石内蔵助など家中の
人たちが御墓料として田地を買って寄進したそうです。

 

この寺は、江戸時代の町屋街である、加里屋で一番古い寺で、
池田時代に加里屋城(今の赤穂城の前にあった城)が築城され
城下町が形作られた頃に、今の場所に移されました。